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+ 目次


  ・ [ 心よりお見舞い申し上げます ]

  ・ [ 新潟県 長岡市 ]

  ・ [ 芸術とは … ただ、好きか嫌いかだけなのだ!? ]




■ [ 心よりお見舞い申し上げます ]



新潟県中越地震にて被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。


私の会社でも、台風被害救済活動のボランティア参加には会社出社と同じ給与待遇を与え、先週から各人チーム交代で従事させています。

私自身も先週末の2日間、泥の撤去やゴミの回収作業などボランティアで行ってきましたが、圧倒的にまだまだマンパワーが足りない状態のようです。

物的被害よりも、精神的に参っている人が多く、自然災害の恐ろしさをまざまざと見せつけられた思いです。


今年の台風も、今回の新潟県中越地震も含め、家屋の耐震精度や屋内の地震対策などなんの意味もなさないほどのすさまじさを感じますが、中にはやはり、「なんでこんなところに家を建ててるんだ?」とか、「こんな背の高い家具なんて、すぐ倒れるのが容易に分かるだろう?」と、憤りにも似た気持ちになることもあります。

「 Y a b u c h さんの予言、見事当たっていますね。何か特別の情報源でもあるのですか?」と冗談まじりにメールを下さった人もいましたが、真剣に、冗談ではありません。

自然界の猛威の前では、ホント人間一個人の力など無きに等しいものです。

しかし、だからと言って何の備えもしないこと、しようとしないことはそれだけでも「罪」であると私は思っています。


誰に対しての罪なのか?

それは、自分自身に対しての「自覚がない」という罪です。


関西大震災の際でも、今回の新潟県中越地震でもNHKなどは「被災者情報」等々を流していますが、自分は自分だけで生きているわけではありません。

地震が起きた。それで数時間連絡がとれないだけでも心配して胸が潰れるほどの想いを抱く人もいるのです。

人ひとり助け出すだめには、3人以上のマンパワーと膨大な資金が必要になります。それが数千人、数万人になったとしたらと考えるのは容易なはずです。


せめて、せめてこのメルマガの読者の人だけは、そのことを肝に銘じ、「いざの時」に備えてほしいものです。

備える際にも、ご近所同士で確認し合うことも大切です。常日頃、ご近所とのコミュニケーションを取っておくことも、こんな「もしも」の時には非常に役に立つものです。


でもなぁ、

「ご近所つき合い」ひとつみてみても、近年では希薄になってるからなぁ〜。


私の言うのは予言ではなくて、日々この世界に暮らしていれば、人間てやつは、徐々にその存在自体を自ら危うくして生活しているのだと、しみじみ分かってくるものなのです。

だからといって悲観的になるだけではなくて、「だからどうする。」といった視点が必要になります。

是非、みなさんも「備え」て下さい。「準備」していて下さい。

あなた自身だけでなくて、心配する人、家族のためにも。

そして私は「猫」のために(笑)


ホント、よろしくお願いしますね。




■ [ 新潟県 長岡市 ]



たぶん「幕末」好き、「維新」好きにはなじみの深い「新潟県長岡市」。

幕末・維新は「薩長土」VS「徳川幕府」だとか、「攘夷・攘夷」と踊る人たちばかりのストーリーだけでなく、その他にも実に鮮やかな人間模様を私たちに見せてくれます。

河合継之介。

この幕末の長岡藩の家老の名前をご存じの方も多いのではないでしょうか?

故司馬遼太郎氏の著作の中に「峠」という作品があります。その主人公なのですが、土佐の坂本龍馬、薩摩の大久保利通、西郷隆盛、長州の桂小五郎、高杉晋作、幕藩の勝海舟、土方利三などなど、歴史の巨人たちはこの幕末や維新にきら星のごとく生まれては消えていきました。

それらの超がつくほどの有名人ではありませんでしたが、薩長でもなく、幕府側でもない、第三の道を模索し続け、自分の信念を貫き通し、北越戦争で官軍の大きな壁になった男。


河合継之介の長岡。

河合継之介は「武装中立」を唱えましたが、維新政府に佐幕派と決めつけられ、「長岡の戦い」となりました。

「長岡の戦い」は戊辰戦争のなかの戦闘で、官軍の大将は山形有朋です。

ガトリング砲の破壊力で一度は占領された長岡城から、山形有朋が褌一丁で我先に、命からがら馬で逃げるほどの戦い振りを見せた継之介。

その闘いの最中、継之介は被弾し、敗血症で戦死をしてしまいます。


私は幕末の出来事があった場所には、一通り足を運んでいるのですが、この長岡市も想い出深い土地でした。

なんとなく考え方が私に似ていたなどと言ってしまうと、ホントおこがましいですが(笑)、一途な東北の匂いと、男のありようを考えさせられた人物でした。


このこと、多くを語ると小っ恥ずかしいのでこの辺りにしておきますが、今回の震災、人ごとでない気持ちでいっぱいです。

人の建てたモノ、作ったモノの復旧も大切ですが、個々それぞれに心を強く持ち、決して諦めることなく歩んでほしいと思います。





■ [ 芸術とは … ただ、好きか嫌いかだけなのだ!? ]



というわけで今回、ホントであれば「ミックス好きの訳 パート2」をお送りするはずでしたが、どうにもヘラヘラと「ドキドキ・ワクワク」する気分じゃないってことで、芸術についての小話しをひとつ。

って、「それで何で芸術なの?」

いやいやいやいや … 。

私なども生意気に「芸術」を語ることもあるわけですよ、これがまた。

なんとなく、そんな気分なんです。すいません。


とはいっても、私が語るのではなく、私が言う「好きは好きで良い」ということの証明みたいなものを、その文献で語っている芸術家がいるわけで、その人の口を借ります。

それってちょっと卑怯?

いやいやいやいや … 。

だって私が言えばただ単純に「好きは好きでいいじゃん!」みたいな感じで終わってしまうでしょう?

その数文字のことを芸術家が語ると、かくも、あら、こうも文学的になるのかと感心してしまうのです(笑)


家具選びやコーディネートは、難しいと考えている人が多くいます。

自分が好きで置いている、この場所、この家具、この色なんか、ホントこれでみっともなくないんだろうか?などなど。

そんなこと考える必要はありません。あなたの感じる好きだけが、それだけで「芸術」なんです。

少し文献からの言葉を借りるなら、「芸術に対して、各個人が好悪の感情を持つことが、芸術が人間の本源的要求と結びついていることの証明であるから。」なんです。


吉田秀和氏が語る「芸術」とは。

ご存じの方もいるでしょう、有名な方ですからね。

吉田秀和氏は、音楽の魅力を的確な言葉で表現し、日本に音楽評論というジャンルを確立した人です。

今は水戸芸術館館長をされているのかな。たぶん。すいません。

その吉田秀和氏の多くの著作の中より、「マネとドゥガ」の一部を抜粋してお送りします。


いつの時代も、悲しみや絶望から人々を癒してくれるのは「芸」でした。

しかしその「芸」とは、ぜんぜん難しく考えることではなくて、芸とは本来、自分自身の中にある、普通の「好き嫌い」であったりするわけで、「芸」が人々を癒すのは、その本来持っているはずの人々の芸術性が悲しみの中を生きるという強さに昇華させるのだと、私は思います。


好きは好き、嫌いは嫌い、本来はそれでオッケーなんですよ。





吉田秀和氏著作 「マネとドゥガ」より



私は、、… 芸術の長い歴史の中での歩みとは切り離したところでいうのだが、… 芸術とは、それが生活の上で、芸術とは別の何かに奉仕するためにあるものだとは考えない。

ということは、なにも、いわゆる芸術至上主義、芸術のための芸術という立場から考えてのことではないのである。

「芸術のための芸術」という考え方は、すでに、芸術はほかの何かのために奉仕できるものだということが前提にあり、役に立ちうるものがそうやって奉仕するのは拒否するという立場の表明であろう。

私は芸術がほかのもの、… 宗教なり政治なり、そのほかの何なり … に奉仕するしないかは、そのときどきの問題でしかないと考える。

私にとって、それ以前にある重要な点と考えられるのは、芸術は人間が生きていく上で最も基本的な条件に属するということである。

芸術は、ちょうど私たちが食べたり着たり、住んだりするもの、そういうところを必要とするのと同じように、私たちにとって欠くことのできないものなのである。

私たちは、食事をする場合、どんな味がしてもかまわないといって食べるだろうか?

そういう場合もあるのは事実である。

異常な事態のもとで、かろうじて、飢えをしのぐにたるものを求め、ようやく探し当てたといった場合がそれだ。

私たちは、それを食べることがより自分の「好み」に合うような食べ方をしたいと望む。

それは「うまいもの」であってもよいが、必ずしも、一年中うまいものだけを追い求めているわけではない。

ただ、私たちのなかに何かがあって、あるものを選ばせたり、ある種の食事の仕方を、ほかの仕方より、してみたいという気持ちにさせるのである。

私は芸術とは、私たちの好みとか志向に関与するそういう力と同じような根源的な働きに属する何かだと考える。

それは選択にあたっての「好き嫌い」だけではない。

しかし私たちの好悪の感情といえども、それは表面的、皮相なもののようでいて、実は人間存在の本源に根ざすある生命的な重要さをもつ働きに通じたものであることを、忘れないほうがいいだろう。

家を建てる場合、食べ物を決める場合、身に付ける衣装を選ぶ場合、どんなときにも、私たちの中には、ある選択の原理が働いている。

芸術はそれと同じ根から生まれるものであって、何かに奉仕するために、自分のなかの本源的要求と食い違うものを我慢してみても、それは長くは続かない。

同じような用途にあてる日常品の場合でさえ、私たちは気に入るものと、気に入らないものとがあるのに気がついて、自分で自分に驚く。

芸術はなにも「美しいもの」にだけ関係しているのではないけれど、しかし、私たちの内部にあるところのもう一つの「針」が、あるものは受けつつ、あるものは避けようとするのである。

そうして、私たちは、自分の喜んで迎えるものを、「私はこれが好きだ」と呼ぶ。



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